竣工ー2017年1月

住所ー群馬県高崎市

構造ー木造在来工法

延床ー

用途ー住宅

設計ー生物建築舎

雑誌掲載ー

新建築住宅特集 2016年2月号 SHINKENCHIKU JUTAKUTOKUSHU 2016.2 
GA HOUSES 143
GA JAPAN 131

 

 

 

【設計者のコメント】

 

 私の実家の改修である。これから老後を迎える両親と話して感じたのは、家は「家族の記憶の器」であるということだ。

 

 設計に取りかかった当初は新築の計画だった。だが両親の細かい要望を聞くうちに、今住んでいる家の間取りや寸法を基準にして空間を見ていることが分かってきた。いいかげん捨てても良いのではと思っていた人形や洋服箪笥や食器棚にも、たくさんの思い出が絡み付いていた。彼らの体に染みこんだ空間やモノに宿る記憶を、齢を重ねた今になって捨てさせる家作りはしたくないと思った。

 

 築37年の私の実家は、応接間、和室、食堂‥と、部屋が小割りされた中廊下型のごくありふれた木造住宅だった。だが家族はこの間取りをうまく使いこなせていなかった。応接間にクロゼットがあったり、居間が2部屋にまたがっていたり、リビングで家事をしたり、行き当たりばったり自由気ままであった。行動領域が、部屋ではなくモノの配置で決まっていたのだ。だが私はこの、間取りに縛られていない暮らし方にこそ両親らしいと感じていたので、この領域の曖昧さを改修後も残したいと思った。

 

 同じ頃、気になり始めたことに両親の年齢がある。動きが前より緩慢になり怪我も増えた。体の自由が徐々に利かなくなれば、家の中で過ごす時間が長くなる。だがそのときに、中にいながら外の環境の変化を感受できる家であれば、引きこもった暗い気持ちにならないかもしれない。体は徐々に動かなくなっても想像力は巡らせられる。太陽や月の光や、外の緑や動物たちと近い関係があれば、想像を広げるきっかけになる。そう思い、土の床や大きな天窓を用い、外部環境を日常生活に取り込んだ。

 

 

 

[ Before ]

 

[ After ]

 

 

 こうして、古いものと新しいもの、昔の大工の考えと現代建築家の考え、外と内とが一つの家の中に混在していく。この相反する要素が、並存するだけでは二つは平行線のままだ。そうではなく、どこまでが古くてどこからが新しいのか、昔の人の作ったのか今の人が作ったのか、よく分からない、そんな地続きの過去と現在の関係が保てれば、両親が昔の家を懐かしむ気持ちも、茶色い家族写真のように遠い過去とならず、今の暮らしの延長に繋がっていられるのではないか。そう考え、様々な素材を注意深く混ぜ合わせるような設計を行った。

 

 たとえば鉄は塗装すると平滑に見える。それと木材をどう連続させるか。木を真っ白に塗ると、時間性が漂白される気がしたので、一階床の地面から二階屋根のトップライトまで、緩やかにグラデーションを掛けて塗装し、上の方は白くして、下は木の色がそのまま見える。天窓からの光と相乗効果をもたらし、過去と現在を溶かす手法である。

 

 

 

 

 日本の建築は、つくっては壊す「スクラップアンドビルド」だと今まで理解されてきた。けれど実家の改修に取り組んで、木造は後から手を加えやすいと実感した。ここ二、三〇年くらいの木造建築は、戦後すぐの建物と比べて性能もしっかりしている。これからの人口減少社会では既存のストックを生かす知恵が必要となる。もともと手を加えやすい木造建築の改修はさらに増えるだろう。その際、雰囲気を一変する「スクラップアンドビルド的な改修」ではなく、今までの上に新しいものを重ね合わせ、風景や記憶がつながる手法を探求したいと思う。

 

 

[ 定点観測 ]

 

 

 家は家族の空間である。一つの家を共有しながら、空間把握の物差しも家族は共有していく。記憶を積み重ねる改修ならば、世代を超え親から子、孫へと記憶の一部は受け継がれるだろう。木造建築はかなり自由になり、かつ時間的な耐久性も長い。それは住宅という時代ごとに変化しながらも、同時に受け継がれるべき建築物にとても合っている。将来、今度は私がこの貝沢の家に手を加えて住むかもしれないと思うと、今から楽しみである。

 

藤野高志